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2020年6月29日

令和元年度 ふるさと探求コース 第2回講座 古墳時代の玉類と出雲 古代人の玉飾りは、権力誇示とともに、祭祀の役割も重要であったのか

本年度上期の講座は、新型コロナウィルス感染症の影響で、現在休講となっているため、昨年度の主な講座の様子をお知らせしています。
第4回目は「ふるさと探求コース」 第2回講座から「古墳時代の玉類と出雲」(令和元年5月21日開催)です。

講師は、古代出雲歴史博物館専門学芸員、岩橋孝典氏で、パワーポイントを使っていろいろなスライドを見ながら解説を聞きました。

まず、玉が使われた時代はいつか?という疑問について、発掘調査から説明がありました。
玉飾りとしては、、「三内丸山遺跡」から縄文時代の玉が出土し、「吉野ケ里遺跡」からは弥生時代の玉が出土しています。
しかし、平安時代以降アクセサリーとして「玉」は付けていません。「信貴山縁起絵巻」にも描かれておらず、鎌倉時代、安土桃山時代、江戸時代に至るまで装飾としての玉は見受けられません。

明治時代になって西洋文化が入ってきて、洋装に玉飾りを付けるようになりました。
現代のアクセサリー文化は戦後からです。

弥生時代、古墳時代に玉素材として使用された石材産地をみてみると、
・翡翠(ひすい)は、新潟県糸魚川・青海川流域で産出。勾玉(まがたま)が多い。
・緑色(りょくしょく)凝灰岩(ぎょうかいがん)は、山陰から東北までの日本海側などで産出。管玉(くだたま)が多い。
・碧玉(へきぎょく)は、出雲、石川、但馬などで産出。管玉、勾玉が多い。
・瑪瑙(めのう)は、出雲、茨城、千葉などで産出。勾玉が多い。
・水晶(すいしょう)は、各地で産出。勾玉、切子玉、管玉が多い。
それでは、玉はどこで作られたのか?というと、
弥生時代前期(2500年前)の玉作りは、山陰地方から始まったと思われます。石の道具(石鋸・石針)を使用しています。

弥生時代中期になると、山陰から北陸、近畿地方に製作技術が普及しています。緑色凝灰岩の使用が主流ですが、碧玉などの硬い石材も使用し始めます。

弥生時代後期になると、山陰、北陸地方で製作が続き、九州北部へ山陰系の技術が伝わっていきます。         
鉄製の工具(ノミ、鉄針)が導入され、硬い花仙山産の碧玉、水晶の使用も始まります。

古墳時代前期(3世紀中ごろから4世紀)には、石川県、福井県が圧倒的に多くなります。        
出雲、関東で、水晶、メノウ、碧玉製品がやや遅れて生産が始まります。

古墳時代中期(5世紀)になると、石川、福井の生産が終了し、糸魚川周辺を残すのみとなります。         
大和橿原市の曽我遺跡を中心としたヤマト王権直轄工房となりました。

古墳時代後期(6世紀)になると、王権直轄工房が衰退しました。出雲玉作は、花仙山周辺に工房がまとまり大量生産が始まりました。

島根県の状況としては、
島根県の古墳から出土する玉類は6100点余りです。(しかし、主な出土14県の中では最小です。)
一方、発掘された玉作り遺跡は、石川県97遺跡に次ぐ60遺跡にのぼります。なぜか、島根県内では多量の玉生産が行われていますが、地元には余り残っていません。

最後に、玉の志向(ブランド志向、権力志向)の変化をみていくと、
古墳時代前期中頃までは、緑(碧玉、ヒスイ)・青(ガラス)・灰色(緑色凝灰岩)の組合せが主で、前期後半から中期は、管玉、勾玉、ガラス玉の組合せで新しく流行しました。

古墳時代後期の最上位階層の玉類は、金属とガラス玉の組合せが見られます。後期の女性像は、耳環、首飾り、手首と足首に玉飾りを付けています。

男性は主に首飾りだけであるが、「みずら」飾りと考えられる玉飾りも出土しています。

古代人の玉飾りの発想は、権力を示す装飾とともに、祭祀としての役割も重要であったと考えられます。
  • 勾玉の説明をする古代出雲歴史博物館の岩橋学芸員
    勾玉の説明をする古代出雲歴史博物館の岩橋学芸員
  • 興味深く聴き入っている受講生
    興味深く聴き入っている受講生
  • 古代出雲歴史博物館で「玉」の企画展が行なわれた
    古代出雲歴史博物館で「玉」の企画展が行なわれた
  • 古代の女性のアクセサリーについて ヒスイやメノウが使われていた
    古代の女性のアクセサリーについて ヒスイやメノウが使われていた
  • 三内丸山遺跡
    三内丸山遺跡
  • 吉野ケ里遺跡
    吉野ケ里遺跡
  • 翡翠の勾玉
    翡翠の勾玉
  • 玉類の加工に使われた石鋸(いしのこ)
    玉類の加工に使われた石鋸(いしのこ)