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2020年8月10日

令和元年度 ふるさと探求コース 第8回講座 「松江市域の弥生文化のはじまり」 弥生時代の稲作文化に関わる出土品が続々!

令和2年度(5月~9月)の講座は、新型コロナウィルス感染症の影響で休講となっているため、昨年度の主な講座の様子をシリーズでお知らせしています。
10回目となる今回は、「ふるさと探求コース」第8回講座「松江市域の弥生文化のはじまり」を紹介します。

講師は、古代文化センター専門研究員の原田敏照さんで、私たちの住んでいる松江市域は弥生時代にどのように社会が成立し、文化が発達してきたかについてお話を聞きました。

古代出雲の弥生文化のイメージとは、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の青銅器、周辺の遺跡から出土する玉(勾玉・管玉)、四隅突出墓そして水田稲作により農耕社会が成立した時代というのが一般的だそうです。

しかし、縄文文化から弥生文化に急速に変わるのではなく、西日本では水田稲作を生産基盤とする文化が発達しますが、東日本・北日本においては未だ採集・狩猟文化が続きます。その後次第に、東日本ではアワ・キビなどの栽培を含む網羅的生産構造へと移行していきます。また、南海地方では貝塚文化が続き、韓半島では後に日本列島に伝播して来る青銅器文化が発達してきています。

古代のこの様な情勢の中、弥生時代の時期区分としては、九州北部にだけ文化が伝播・発達した早期、日本国内で青銅器文化が発達した前期から中期、そして鉄器の時代になり、また四隅突出墓が現れる後期の4段階に区分されます。

現在は、弥生時代の実年代測定の技術が進み、放射性炭素年代が較正され、炊飯に使われた弥生土器に付着したススやコゲにより実年代の測定ができるようになり、それによって、弥生時代の開始年代が従来より500年も遡り紀元前10世紀と判定されました。弥生時代前期も紀元前800年頃から始まり、弥生時代中期も紀元前400年前後から始まるなど開始年代が数百年遡り、弥生時代が長期間になるなど研究が進んできました。

発掘調査による考古資料から裏付けられる弥生文化の始まりとして、北部九州の遠賀川式弥生土器、イネ・アワ・キビなどの大陸系の穀物、水田稲作と農耕を証拠付ける道具類があります。

初期の段階では朝鮮半島の無文土器が弥生土器に影響を与えており、土器の作成の仕方の違い、つまり粘土紐の接合方法の違いにより、突帯文土器、遠賀川式土器、無文土器に区別されます。
また、炭化米など出土穀物から大陸系穀物の様相を知ることもでき、イネ花粉やイネ科の害虫コクゾウ虫の痕跡、そしてカヤのとがったガラス質の物質でコーティングされた組織プラントオパールから測定するのだそうです。

いま一つは、土器に残る痕跡から知ることができ、土器に付着している種実圧痕やシリコンでかたどった圧痕を電子顕微鏡で調べるレプリカセム法など技術の進歩がみられます。

弥生前期になると木製農耕具が出現しています。松江市西川津遺跡から木製のクワやどろよけ、オノの柄などが出土し、朝酌川周辺の農耕の様子が伺えます。弥生時代は板材が必要であり大木を木のクサビで割って作製していますが、その後、大陸系の磨製石器が伝わり稲穂を摘む石包丁や斧、ノミなどの石器が登場してきます。
また、弥生前期には新しい墓制も出現してきており、松江市鹿島町講武の堀部第1遺跡からは木棺とその周辺に供えられた遠賀川系土器が出土し、列状配石が認められる配石墓となっています。これが朝鮮半島の遺跡と類似しており、北部九州から日本海沿岸に見られる遺跡、墓制のルーツであろうと思われるとのことです。

まとめてみると、松江市域の弥生時代のはじまりの年代は、紀元前600年前後であると考えられ、大陸系の穀物はそれ以前にすでに入って来ています。つまり、北部九州から日本海沿岸ルートは大陸からの情報を素早く取り入れる玄関口であったわけで、新しい墓制、新しい土器、新しい石器を採用し、管玉製作をいち早く行っています。また、土笛が集中して出土する地域でもあります。

その結果、青銅器文化や四隅突出墓という特殊な墳墓文化につながっていきました。
  • 講師の古代文化センター専門研究員の原田さん。                                                                 弥生時代に稲作が始まったと話す
    講師の古代文化センター専門研究員の原田さん。 弥生時代に稲作が始まったと話す
  • 「松江市域の弥生文化のはじまり」と題してお話を 聞く
    「松江市域の弥生文化のはじまり」と題してお話を 聞く
  • 弥生時代とは、荒神谷や加茂岩倉の青銅器、そして勾玉や四隅突出墓のイメージ
    弥生時代とは、荒神谷や加茂岩倉の青銅器、そして勾玉や四隅突出墓のイメージ
  • 縄文土器と弥生土器の違いは、器面の調整方法の違いなのだそう
    縄文土器と弥生土器の違いは、器面の調整方法の違いなのだそう
  • 水田稲作は朝鮮半島から北部九州へ伝わり、紀元前7世紀ごろ日本海ルートで出雲地方へ拡散した
    水田稲作は朝鮮半島から北部九州へ伝わり、紀元前7世紀ごろ日本海ルートで出雲地方へ拡散した
  • 弥生時代中期頃までは、農具は全て木製であった
    弥生時代中期頃までは、農具は全て木製であった