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2018年7月3日

平成30年度 ふるさと発見コースの講座が始まりました 近世松江の海運・水運

6月5日ふるさと発見コースの第2回講座が、講師に島根県古代文化センターの研究員、中安恵一氏をお迎えし開催されました。
まつえ市民大学の運営が平成25年度に民営化されて以降、初めてテーマとして取り上げた海運と水運に関する講座です!

17世紀末、河村瑞賢(江戸初期の政商)による西廻り航路の整備により宇龍・美保関が隆盛を迎えたこと、又、雲陽国益鑑によれば、松江(白潟)・安来・宇龍・加賀・美保関・雲津の港に問屋があったことなど、我々がほとんど見聞きしたことが無い世界の話が広がり、面白い!

18世紀後半(江戸末期)頃から船籍地(船主)の記録が徐々に増え、松江と周辺の海運の様子が分かるようになったが、それ以前の様子は不明な点が多いとのこと。
廻船問屋の記録「御客入船帳」によると、町方(白潟周辺)の廻船は、北陸(越後・能登)の場合150~500石(1石=10斗)積の小中型廻船で鉄・木綿・塩・石材など雲州国産物を中心に多種多様の産物を扱っていたことがわかる。
肥前伊万里の場合、雲州廻船は伊万里焼(有田・唐津等)の日本海流通における屈指の存在であった。

因みに、「御客入船帳」とは文政年間から幕末にかけての廻船問屋の記録で、研究者にとっては一級の資料だそうです。

諸国の廻船は馬潟・大井・矢田に着船し、荷物を「渡海場船」に積替え、松江の城下に運んでいたが、小型廻船はそのまま通行した。
他国出入り荷物は大橋南側の袂にあった八軒の他国問屋が差配しており、この地は現在八軒屋町としてその名を残している。
水運の拠点として、宍道湖・中海での貨物運送を行う渡海場があり、松江・平田・庄原・宍道・安来の5ヶ所にあった。渡海場とは、宍道湖・中海での貨物廻送を行う松江藩公認の船頭仲間や彼らが廻船活動を行った拠点地のことをいう。
渡海場には、指定された「荷下」(荷積みエリア)から運賃積を行う事が出来るなどの特権が与えられ、廻送順はくじ引きで決まり利益は渡海場で共有された。

また、松江渡海場のみ大橋川の東西通り抜けは出来ず、必ず松江渡海場の船に積み替える必要があった。
これは、松江藩が御用船の確保や禁制品の取り締まりを行う事を目的とした流通統制であり、排他的・独占的な運送組織であったことなどの解説があり、あっという間に時間が過ぎました。

今後、近世松江の海運・水運の調査・研究が更に進み、新たな事実の発見が期待される分野です。

  • 興味深い海運・水運について講義する 中安恵一氏
    興味深い海運・水運について講義する 中安恵一氏
  • 中安講師の講座に聴き入る受講生
    中安講師の講座に聴き入る受講生