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2018年7月10日

平成30年度 ふるさと探求コース第3回講座 出雲が大和政権誕生に大きく関与したと力説する 川原和人氏

7月6日、講師に元島根県埋蔵文化財調査センター所長の川原和人氏をお迎えし、開催されました。

講義は、「縄文時代の人は死を恐れていた」と普段考えない視点で始まり、皆きょとん!
弥生・中世・江戸そして現代の墓事情について、時代に合わせその形や人々の考え方が変化してきたことが話されると、なるほどと納得しました。

続いて、独特の形と言われる四隅突出型墳丘墓に話題が移り、ここからあまり知られていない説が登場。面白い展開となりました。
弥生時代、稲作により人々が定住すると権力者が登場し、権力の象徴として大きな墓を造る様になりました。
その最初が四隅突出型墳丘墓で、原型は旧瑞穂町(現邑南町)の順庵原(じゅうなんばら)1号墓。講師自身も高校3年生の時その発掘に参加されたとのことです。又、一番古い四隅突出型墳丘墓は米子市大山町の洞ノ原墳墓群であると紹介されました。
その後、突出部を含むと長さ60メートルの大きな四隅突出型墳丘墓が西谷(出雲市大津町)に王の墓として出来たそうです。

ここから話が急展開し、更に興味を引く説が続きます!

西谷に四隅突出型という特殊な形をした大きな墳丘墓を造った出雲には、縄文から弥生時代にかけて朝鮮半島の人が住み、この人たちが仲立ちとなり中国や朝鮮半島と交易し、繁栄していたと解説されました。
出雲は交易品として中国や朝鮮半島の人が欲しがる漆を出し、相手国から様々な物(鉄、紙、葡萄酒など)や文化(言葉、漢字、道教の教えなど)そして三公九卿という行政官職を手にいれました。

こうして経済力・政治力を蓄積し力をつけた出雲は、漆を出雲に供給し急速に力を付けた吉備国や、中国の使者が訪れ交易をしていた伊都国と連携して、2世紀に纏向に大和政権を誕生させ、倭国統一に大きく貢献しました。
この様に、2世紀から3世紀にかけて出雲が果たした役割はすごく大きく、今後見直す必要があると、川原和人氏は指摘されました。

最後に、「島根の地域づくりを、文化・地理的条件をふまえながら、島根ならではのものを生み出していかなければならない」と力説され、講座が終了しました。

  • 川原講師の熱弁に聴き入る受講生
    川原講師の熱弁に聴き入る受講生
  • 出雲・吉備と大和の関係を熱く語る 川原和人氏
    出雲・吉備と大和の関係を熱く語る 川原和人氏