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2021年9月9日

令和3年度 ふるさと探求コース 第3回講座 堀尾家の家臣を追え ~武士の再就職~

令和3年度講座の様子をお知らせするシリーズの第5回目は、ふるさと探求コースです。

松江歴史館主任学芸員の新庄正典氏を講師にお迎えし「堀尾家の家臣を追え~武士の再就職~」を開催しました。

堀尾氏は、松江城を築城した堀尾吉晴の孫、忠晴が34歳の若さで死去します。忠晴の子は、娘が一人だけで、すでに他藩へ嫁いでおり、跡継ぎがいないために、堀尾家は断絶することになります。
松江城下には藩士とその家族約1万5千人が居住していたそうです。
大名家の断絶は=会社の倒産であり、サラリーマンである家臣にとっては失業です。現代のような、失業保険などない時代に主を失い牢人(浪人)となった家臣たちがその後どのように生活再建をめざしたのか、お話をしていただきました。

◎1615年に大阪の陣が終結し、社会が安定してくると牢人(浪人)の再士官の機会が減少しました。一度牢人(浪人)となると、親戚や知人のつて、特殊技能や際立った武功などを活かし、状況判断をしていかなければ再士官の機会にすらめぐり会えないという厳しい状況でした。

◎各地に散った堀尾家家臣たちの行方を「出雲・隠岐堀尾山城守家中給帳」の調査史料の中から知ることができます。
 ・再仕官先の大名の1人から家臣が数十人まとめて仕官できた記録が残っている。
 ・堀尾氏一族についても姻戚関係などから取り立てられた経緯が記載されている。

◎出雲に残った家臣たちもいました。
 ・堀尾家が断絶した後、京極家そしてその後松平家が入国する際に、堀尾家の旧家臣にとっては再び仕官の機会があった。
 ・京極家は、小浜11万3,500石から出雲・隠岐26万4,200石への加増転封であり大量の家臣を増やす必要があった。
 ・松平家は、信州松本7万石から出雲国18万6,000石に加増され入国しており、また直政は京極家家臣を積極的に受け入れた。

終りに、新庄講師は、堀尾家は1633年断絶したと思われているが、親戚関係の堀尾氏は各地で仕官し、その名を留めている。また、現在でも堀尾家の家臣の子孫が松江にも残っているはず。追跡調査ができれば、堀尾家に関わる資料が出てくるかもしれない、とお話しされていました。

受講者からは、武士の再就職はリストラにあって再就職する現代の話しと同じで興味深かった、主ではなく従にスポットが当たり良かった、などの感想をいただきました。

  •    講師の新庄正典氏
       講師の新庄正典氏
  • 資料を見ながら熱心に耳を傾ける受講生
    資料を見ながら熱心に耳を傾ける受講生
  •    堀尾氏の系図
       堀尾氏の系図
  •    出雲・隠岐堀尾山城守家中給帳
       出雲・隠岐堀尾山城守家中給帳